自由とフィクション

Japanese translation (PDF) of “Freedom and Fiction,” from Glass Bead, Site 02.  Thanks for Okayama Art Summit for the translation!

フーコーが『言葉と物』の序章で言及する home は、言説上のものだ。それは歴史的あ るいは時代的な home だが、非私人化されている(deprivatized)がために、まさに家内的 (domestic)だ。この歴史的・言説的な home は、「諸存在の繁茂を手加減してくれる」 図式として作用する。それは「語や知覚や身振り」に先だつ、与えられた秩序の空間で あり、その特定の秩序の「巧妙な」表現であり、「それらにはっきりとした形[…]をあ たえようとこころみる理論よりも、はるかに鞏固で古い、疑問の余地のすくない、つね により『真実な』ものなのだ。」[2] フーコーのいう home は、さまざまな物の関係 の自然発生的な文化的経験が構造化されるアプリオリ(先験的)なモード、それらの関 係の分類(同一性と相違性の体系)、そして「ここで問題と」[3] すべき原理であ る。この home は、世界がいかにナビゲートされるか(規範的、標準的な重みづけによ っていかにナビゲートされるべきかと同様に)に適用されるコードとしての秩序の自 然化(naturalization)であり、それらのコードの知識が配列されて創造される方法であ る。そのような周期的な domus(家屋)に彼が与えた用語が、epi(上の)と histashtai(立 つ、または置く)を組み合わせた「エピステーメー(episteme)」である。

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